再生からわずか数分で、瑞々しい輪郭を帯びた光景が立ち上がってくる。疾走感のあるメロディと真っ直ぐな歌声の魅力に導かれるように、身体の奥から何かが目覚め、湧き上がってくる。そして楽曲の中にいる主人公が持つ、無性に強く、弱く、美しく、切なく、悔しく、そして愛おしい感情が耳から心へと溢れ出ていく――そう、“物語”の始まりだ。 Sano ibukiのデビューアルバム、『STORY TELLER』である。
「決して友達が多くはなかった思春期を過ごしました」。そんなSano ibukiというシンガーソングライターのこれまでは、いつも“物語”と共にあった。
「幼い頃から絵本の真似事みたいな物語を書いていました。ロールプレイングゲームも好きでした。中学で小説のようなものを書き始めて、その時のノートを元に、高校の文化祭で舞台『ロミオとジュリエット』の脚本を書きました。そのノートの断片も追って曲になりました(※1st mini album『EMBLEM』収録「moonlight」)。大学の時は、映像制作監督や脚本についての勉強をしていました」
それでも音楽を選んだ理由は、音楽が「自分が感じた“人に伝えたい”と思う景色や感動を、最も遠くまで届けられる手段だった」と気付いたからだった。
「感情が揺さぶられる景色やメロディに出会うと、誰かに伝えずにはいられなくなる。『同じ気持ちの人がきっといる』。『絶対に何かを感じてもらえる』。そんな思いが僕の音楽への原動力です」
彼はSano ibukiとして音楽を届ける上で、幾つかのルールを設けている。そのひとつが、時代や国境の概念に縛られない、楽曲のバックグラウンド・ストーリーである。本作の構想におよそ2年もの時間が費やされた理由もそこにある。
「まず、Sano ibukiはSano ibukiのことは歌わない。つまり主人公は絶対に僕ではない。だから全ての曲において事前に書いたプロットが存在します。(本作)3曲目の『いつか』という曲のプロットは、短編小説と言える長さです。キャラクター性の強い主人公を設け、その趣味嗜好までを細かく書いた綿密なプロフィールも用意します。主人公の存在感が色濃い歌を歌いたかったんです。時には主人公が僕の意志とは違う勝手な動きをする場合もあるんですけど、それはそれで楽しいので。“架空の街”をイメージするために、ヨーロッパの18世紀頃の街のレンガ造りを研究しながら、そこに僕なりに考えた近未来の要素を付け足したりしています」
その一方で、彼の歌詞には、決して空想のみからは編まれないはずの、熱を帯びたフレーズが散見される。
〈いこう 僕らは出会うために 幾つも誤魔化し笑ってきた〉(「WORLD PARADE」)
〈1人じゃないとか思えた夜も それでも訪れた別れの朝も 悲鳴のように残り続けた痛みは 覚えているから ここに僕はいる〉(「決戦前夜」)
〈いつかの約束を何億回も繰り返して 巻き戻れと神を呪って嗚咽を吐いた〉(「いつか」)
「自分を主人公にはしていませんが、自分が体験していないことだけで書くのは嫌なんです。ファンタジーではあっても、リアルは忘れたくないというか。歌詞のどこかは自分の体験と紐付いています。僕は特定の宗教感を持ち合わせていませんが、例えば神様に何かをお願いする時って、どこかで自分自身に祈っているような感覚もあって。すると、祈ったのに叶わないという怒りや焦りのような感情が湧く時もあって。映画主題歌(※12月13日公開『ぼくらの7日間戦争』)の『決戦前夜』は、そうした思いから、映画本編で描かれている怒りや汗や焦りを、自分なりにより音楽で補えたらと思って書きました」
もう一つのルールは「Sano ibukiはプロジェクトである」ということだ。新人としては異例のメジャー感と完成度を感じさせるサウンドだが、Sano ibukiには記名性の強いプロデューサーがいるわけではない。歌詞とメロディは彼自身が作るが、アレンジは敢えて複数のアレンジャーに託している。
「自分一人で完結させない。自分を主人公にしないからこそ、自分の匂いをどれだけ消せるかが僕にとっては重要なんです。あと、自分一人で作るクリエイティブにあまり興味がなくて(笑)。制作スタッフやアレンジャーといったさまざまな人との掛け算で音楽を作るのが好きなんです。そうした掛け算から、自分では思いもよらなかった完成形を迎えた曲が『STORY TELLER』にはありました」
この『STORY TELLER』で彼が描こうとしたのは、“出会い”と“別れ”、そして“生”と“死”だった。
「当初は“出会い”と“別れ”を書きたいだけであって、死生観なんて書くつもりはなかった。でも、“出会い”と“別れ”の究極を書こうと思うと、自ずと“生”と“死”に向かいました。『滅亡と砂時計』の中でも大切な人が亡くなっていますが、死と生を見つめる行為には、素の自分の思考が伴う。多分、自分の中で揺るがない根幹というかテーマだと思います。自分がこれまで生きてきた中で体験した、幾つかの“出会い”と“別れ”、“生”と“死”とは、それぞれの主人公が持つ哲学に付随しています。喜びや悲しみに大小や優劣を付けるのは好きじゃありませんが、かつて感じたちっぽけな喜びも、何かに夢中になった熱も、強烈な喪失感も、歳月の中で記憶が上書きされないよう、音楽としてちゃんと残しておきたかったという思いもありました」
その向こうに見えてくるのは、アルバム終盤の美しい流れに凝縮されている“祈り”だ。
「(インストゥルメンタルの)『Letter』という曲は、何度試みても歌詞が浮かばなかった。『何故だろう?』と考えたら、自分が手紙を書く時の心情と一緒で、書きたいと思えば思うほど書けないのだと気づきました。『Letter』は『Argonaut』に繋がっています。『Argonaut』の主人公が、亡くなってしまた大切な人を思って手紙を書いている心情を描いたものです。つまり、もういない相手に、届くことのない手紙を書いている。そして『マリアロード』へと繋がります。『Letter』から『マリアロード』で描きたかったものは、人が本当にどうしようもない状況に置かれた時の“祈り”でした。12曲目の『梟』は、言わばエンドロールが流れた後の、このアルバムの“あとがき”のような曲です」
さらに、この『STORY TELLER』は、昨年(2018年)リリースされた1st Mini Album『EMBLEM』と、すでに構想が固まっているという次回作とも、何らかの形でリンクしているという。
「自分としては物語そのものではなく、様々な物語の“主題歌”を書いたつもりです。その12の主題歌が集まることで、『STORY TELLER』というひとつの物語になっているとも言えます。でも、リスナーのみなさんには、そうした僕の設定に縛られることなく、例えば自分の記憶や思い出の断片とのリンクをどこかに感じてもらえた時、『そういえば、あんな曲があったな』と、気軽に楽しんでもらえたらうれしいです。たくさんの人に聴いてもらいたいですね」
自分の描く物語の主題歌が、誰かにとっての新たな“サウンドトラック”になれたら。そんな彼の願いも、『STORY TELLER』というタイトルには込められている。
軽やかにページをめくるように、いままさに始まったSano ibukiの新章を楽しんでほしい。きっと貴方の目に映る日常の風景にも、新たな輪郭をもたらすはずだ――Sano ibukiの音楽には、すでに、確かに、その力がある。
(内田正樹)